小説 「流離(さすらい)の愛」 第1章 愛のプロムナード
黄昏の七里ガ浜の空を鳶がヒユールル・ヒユールルと鳴きながら旋回し、沖合にはサーフィンを楽しむ若者たちのシルエットが、七里ガ浜の渚をすべるように行き交っていた。 緑川三姉妹は、箱根からの帰途、厚木インターへ向かわず、西湘バイパスから茅ヶ崎を経由して、江ノ島海岸まで来た所で、腰越のイタリアレストランに入って早めのディナーをとっていた。 「キャンティを、少し飲み過ぎてしまったようだわ」頬をほんのり紅く染めた恭子が言った。 「ずっと運転してきたから疲れているのよ、恭子姉さん・・」一番年下の華子が、デザートを食べながら言った。 「わたしが、代わって運転するわ!・・」 「近くに眺めのいいところがあるの、知っている?」そこで少し涼んでから帰ろうと、二番目の夏子が言った。 三人を乗せたBMWが、腰越から落着いた邸宅の並ぶ鎌倉山へ上っていくと、眼下に稲村ガ崎が見えはじめた。 江ノ島沖の湘南の海には、黄昏の陽が漁をする船の影を映し、遠く西の山並みの一点からは、幻想的な夕映えの富士山が、天に突き刺さる黒い剣のように見えていた。 鎌倉山は、夏子が学生時代に、葉山のヨットハーバーからテニス部の先輩の車で、黄昏の鎌倉山に連れてこられて、いきなり愛をうちあけられた、忘れられないところだった。 姉の恭子は、BMWに寄りかかるようにして、気持よさそうに潮風にタバコの煙をたなびかせていた。 江ノ島沖をジッと見つめる、夏子のローラ アシュレイの花柄ワンピースの裾が、潮風を受けて大きくゆれて膨らんだ。
「夏子姉さん、何だかセンチメンタルな目をしているわ!・・」妹の華子の目がサングラスの奥で笑っていた。 「おバカさんね!夏ちゃんの想い出の場所なのよ!ここは・・」 「夏ちゃん!そういえば、あの彼はどうしているのかしら?」恭子は、在学中に公認会計士の資格を取得し、卒業後米系監査法人に就職した澤田真之(マサユキ)の、その後のことを聞いた。 「あれっきり、あのひととは暫く会っていないから・・」夏子は、遠く海を見つめたまま、声を落として答えた。 「そうなの?・・」妹と真之との関係を暗に探る恭子だった。 「こういう時に力になってくれるといいのにね!」 三姉妹の父、緑川一三(イチゾウ)の率いる会社が、顧客の個人情報を漏洩したと報じられて、上向きかけていた業績に、少なからずダメージを与えていた。 「夏ちゃん、そろそろ行こうか?」 「運転大丈夫?・・夏ちゃん」夏子の様子を見た恭子は、すっかり酔いを醒まして正気に戻っていたようだった。 「わたしが運転するわ!」華子はそう言うなり、さっさと運転席に座った。 「夏子姉さん、逗子を通って横横道路へ行ったらいいのね!」 横浜の青葉台まで約50km、横浜―横須賀道路を走り抜けた後、狩場インターから保土ヶ谷バイパスを経て、16号線を東名高速・横浜町田インター付近まで行くと、あと数分の所なのだが、そこまでの間、途中渋滞にはまると2時間以上掛ることはめずらしくはなかった。
「狩場インターから狩場線に入って、大黒埠頭方面へみなと未来まで行ったら、ランドマークタワーでわたしを降ろして・・」夏子が、前方を見据えて言った。 「夏ちゃん、いまから行くと着くのが9時を過ぎるわよ!」 「一体、何をしようっていうの?夏ちゃん」姉の恭子が慌てて諭した。 「シリウスで静かに飲みたいの」夏子がうつろな目で呟いた。 三人を乗せたBMWは、稲村ケ崎から材木座海水浴場沿いを快調にとばし、小坪のトンネルを抜けると、右手から湘南の潮風を受けて葉山方面へ向かって疾走した。 夏子は葉山のヨットハーバーを見ると、迷いを振切るように携帯メールを発信していた。 華子の冷静なハンドル捌きは、横横に入っても変わらなかった。 夏子が逗子の辺りから真之へメールを送ると、まもなく携帯のバイブレータが澤田からの返事を告げてきた。 夏子が卒業した時に、澤田真之は、みなと未来のビルの中にある米系の監査法人で、会計士補から公認会計士になっていた。 3月期決算が済んでから株主総会が終る6月頃までは、土日に休むのも難しいくらい忙しいんだと、以前にも聞いていたので、きょうも事務所に出ているのかも知れないと夏子は思うのだった。 半年前、夏子の誕生日がもうすぐという時、黄葉の表参道で喧嘩別れしたまま、一度、夏子の携帯にメールが入ったきりで、ふたりの交際は途絶えていたのだった。